aqaliちゃん家。

日々是好日徒然草子。雑貨文具、映画、小説絵、ごはん。

しちがつなのか。

「あぁ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまえがあうどんなひとでもみんな何べんもおまえといっしょにリンゴを食べたり汽車に乗ったりしたのだ。だからやっぱりおまえはさっき考えたようにあらゆるひとのいちばんの幸福をさがしみんなと一しょに早くそこに行くがいい、そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ。」ーブルカニロ博士

 しちがつなのか。
僕にとって七月七日というのはなんだかこそばゆい、少しばかり特別な日だった。
中学生の時に「しにがみのバラッド」と出会って、そしてこのライトノベルという世界にどっぷりとハマってしまった。
そのきっかけが作中に出てきた「スノウリバース」と「しちがつなのか」でした。
それまではどうも「三国志」とか「少年探偵団、怪人二十面相」とか都度学校のプリントや課題図書で推薦される作品、図書館の新規蔵書なんかを毎日貪っていたのでありましたが、中学二年生にして友人がなんだったかな「狂乱家族日記」か「撲殺天使ドクロちゃん」かどっちだったかにハマりましてその良く言えば現代的、悪く言えば若くちょっと気恥ずかしい文体に衝撃を受けて手に取ったのが電撃文庫の「missing」甲田学人 著でした。
その頃といえば小学生の折に世間を新しい波に攫っていった「新世紀エヴァンゲリオン」「少女革命ウテナ」の熱を引き継いだまま「ブギーポップは笑わない」によりセカイ系と揶揄される新しいテイストのジュブナイル小説や2chから広まったオカルトの創作(創作と銘打ってはいないが察しがついてしまうシリーズものや一部の完成度が高い読み物など)SS板など、今まで形成されてきた本の在り方や伝え方がより身近にあるものとして変化していく時代の中間点だったように思います。
 
これは古いものがどう、とか或いはライトノベル的なものがどう、という訳ではなく。(ライトノベルと呼ばれるものはそのずっと前から新しい形のジュブナイル小説として存在していましたし、なんなら最初期のジュブナイルライトノベルとは今でいう異世界転生モノ(RPGやSFスタイル)が定石でありました)そういったものを出版してきた文庫の中で今までより大きな変化のうねりの渦中であったというのが個人の感想でしょうか。
この頃には既にPCもSE→MO→XPとアップデートを続け(間隔が短くて僕のようにXPに飼いならされてきた人間はビビり散らかした)その中で俗にいうアダルトゲーム(ADV)も色んなネタや世界のカタチを提唱し続けオタクカルチャーとして独自の進化をしてきた文学がより誰しもの身近にあるものとして、、うーんそうじゃね音楽でいうところのオルタナティブ(進化或いは試験的な)文学だったんじゃあありゃせんかと。
現在でもこれらの読み物はオルタナティブな側面が強いものの売りたいメーカー側と世界観に没頭したい買い手の需要供給曲線が一致しすぎた為に売れるジャンルを提唱(グルメもの、異世界転生、ママみなど)しその中でそれぞれに引き出しのある書き手が独創的な着眼点のものを書きバズらせて売るというなんとも特化型なジャンルになってしまっているように受け取ってしまう上に、角川や新潮などのライトノベル文庫とはわざわざ文庫の名前を分けていたところの出版本が若い世代の書き手や、バズった作者を扱いだしたためにかつてライトノベルというジャンルで繰り広げられていた多様な引き出し戦争が良い意味で一般書籍の中でも起こっているのでおじさんとしては本当に書籍というエンターテイメントが生活に密着した良い時代やねぇとこの幸せを享受しております。

 さて長々と書いてまいりましたこの前口上ですがようやく本題に、入る前に日付が変わってしちがつようかになっちゃいますね。
もう遅いし寝よう。睡眠は大事だ。
そう、七月七日にしちがつなのかを書くことになんだか意味がある気がしているのです。そんな本です、スノウリバースは。
本来であれば「しにがみのバラッド」から「銀河鉄道の夜」そして廻るピングドラムを少し、、、とお話をしたかったのですがそれはまた明日にしましょう、今日はさぎょうのとっかかりが遅すぎました。
来年のしちがつなのか。はちゃんと意味のあるお話が出来ますように。
そして、この日記をきちんとやっていけていますように。

 それではまた明日。良い夢を。